今日も快晴

一月も余すところ二日、一日ごとに春の足音が大きくなってくるようです。
陽ざしが出るまでは寒々としていた庭が、眩い光に照らされる頃になると

彩りゆたかな庭に生まれ変わります。花壇には日毎に色が増していますから。
紅梅の蕾も少し膨らみました。

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昨日は、今にも零れそうな様子の藪椿を見つけて、一人でにこにこして

しまいました。2月1日のお茶の会に一輪挿せそうです。

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季節の変化が目に見えるようになって、庭歩きが楽しくなりました。
天気予報では北国の雪の予報を伝えているのに、申し訳ないような思いを抱きつつ。

陽射しに応えて華やぐ花たちの様子を何枚か。

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陽ざしに憩うサクラソウ

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はなやぐアネモネ

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寄り添うアネモネ

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春の使者水仙

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ムスカリ―(グレープヒヤシンスとも言うそうです)

今日も碧空の一日とか、陽射しはもう眩いばかり、毎日の水遣りが欠かせません。
一雨ほしいところですけれど、贅沢を言っては罰が当たりそうですね。

思い出の中の佇まい

「四季折々、日本の彩」という私が管理しているフェイスブック上のグループがあります。「日本を映すもの」とそれぞれの方が感じて下さることを、思い思いに投稿して頂いています。私は毎週の茶室の様子を中心に、心に触れた「日本」を週に数回投稿しています。今取り掛かっているのは、「思い出の中の佇まい」というもの。夫が生まれ育ち、結婚後には私も良い思い出を重ねて行った忘れられない場所、山口県宇部市に在った夫の生家の記録です。

夫や娘や私が、いつか来るその日(家との別れ)を想定して撮りためた写真が手許に沢山あります。それは記念誌を作り、夫の兄弟姉妹に既に手渡しました。その中から目ぼしいものを選び出し、「日本の彩」のみなさんにも見て頂いているのです。写真を目にすれば、溢れるほどの思い出が蘇り、手がしばしば止まってしまいます。

そんな写真のいくつかをここでもご覧いただきたいと思います。


エントランス

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表玄関

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表座敷

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表の庭

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お茶の間

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屋根から見た屋敷

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鬼瓦に記された家紋

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姿を消した跡地には、もう新しい家が数件建っている由、私は根の無き宇部を再訪する勇気が持てません。時の流れの儚さを、虚しさを、心に残るゆたかな思い出で包んで、亡き父、母を偲んでいこうと思います。

 

睦月は駆け足


寒の入りには春を思わせる陽射しが降り注いでいましたのに、今日は底冷えのする一日となりました。午前中に買い物に行き、乃吾(ノア)からのリクエストの塩せんべいを買い込んできました。暮に送った正月料理の材料の中に入れておいた「鬼ひび」などの煎餅が最も彼らの日本への郷愁をそそってしまったようです。Skypeの間中、何回となく「お煎餅が・・・」のフレーズが出てくるのをそ知らぬふりで聞き流しました。なぜかと言えば軽いけれど嵩張る煎餅は、送料が内容のゆうに二倍はかかるからです。でも結局はせかせかと荷作りをして国際郵便担当部署にピックを頼む甘々ナナチャマは、乃吾(ノア)の「ななちゃまぁ~」のあの声には敵わないのです。

このブログ、昨年夏から4か月強お休みしていました。Hatenaが統合させると聞いたとたんにやる気をなくして、それ以来手を拱いていたのです。でも日記替わりの気の置けない独り言、再開することに決めました。この場所への移転手続きは次男が難なくやってくれました。

昨日は、睦月の茶室の最終回でした。真っ直ぐな梅の枝に白い花がちらほらとこぼれ始めましたから、これを床の花にと決めて、庭の万両、子手毬と一緒に活けることにしたのです。

ところがこれが一筋縄ではいきません。難行苦行の末何とか納得できる形になるまで小一時間、基礎が出来ていないという事は情けないことです。

茶室の続きはまた後日。日記の書き方、写真の入れ方に慣れるのに少々時間が掛かりそうです。

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暑さはちょっと一休み

連日猛暑日を記録して、もう限界と思い始めた10日過ぎ、
台風の置き土産で急に気温が30℃を割り始めてもう一週間が経ちます。

12日は夫の旅立ちの日、もうあれから丸13年が過ぎて行きました。
その日は7時過ぎに家を出て、息子たちと高尾へと向かいました。
お盆休みは昨日から始まっていて、道は予想通り大混雑
常の様子とは流れが違います。
おまけに途中から予期せぬ雨に見舞われました。
かなりの土砂降り、傘を買わねばと店を探している内に、
雨は嘘のように上がりました。仏様のご配慮でしょう。
きれいにお掃除をして、ゆっくりと夫に語り掛けました。



帰宅してすぐに、料理上手な長男が、父へと用意した料理は、
カツオのタタキ、海老の塩焼き、きゅうり、わかめ、ちりめんの酢の物、
私は宇部の母から伝授されたおかやくを作りました。
次男もせっせと手伝ってくれ、手早く支度が出来ました。

夫が好きな料理を口にした時の言葉や仕草を皆で思い出しながらの
賑やかで楽しくおいしい昼食でした。
子供たちのやさしさ、あたたかさがいつにも増してうれしく感じられる
一日となりました。


そして13日の盆の入りには母から伝授されたブラマンジェを作り、
姑の好きだったおはぎを用意しました。

その日から16日までの4日間、お位牌を仏壇からお出しして
リヴィングのテーブルの上にお出ましいただき、
朝に夕に、そこはかとなくあたたかい空気を感じながら
良い時間を過ごしました。
旅立たれた慕わしい方々をいつも身近に感じられること、
いつも守って頂いていると実感できること
それが私の元気の素なのだと思っています。


彼岸へ戻られる盆送りには、みなさんのお好きなものを取り揃えた
お膳を用意してお見送りをしました。


お別れした後にもやわらかな余韻が漂っています。

葉月の菊寿庵から

葉月のお茶の会
いま「瑠の歳時記」の目次を見て驚きました。
6月、7月の歳時記が。すっぽ抜けているのです。
書くことがないわけではない、むしろあり過ぎて
落ち着いて日記を記す時間、いやいや心の余裕がないと言った方が
正しいでしょう。
バタバタと日が過ぎることに慣れてしまうと、時間がぽかっと空いた時
何をしてよいのかとウロウロする有様です。
この状態は何時から始まったかといえばそれははっきりしています。
昨年夏に、母の茶室「知川庵」での稽古は年内で終わりにして、
義妹と私それぞれが別々の稽古の場を作ることを話し合って
決めた時から始まったことなのです。
母から受け継いだ茶道具は私と弟、ひいてはお茶をしている義妹と
分け合って、これからも活用するということで
その流れは自然に方向づけられました。
母の社中の方達とは昨年末まで稽古を続け、これからも時折同窓会の形で
お茶を楽しむことに話がすんなりと纏まりました。
そして、昨夏から始まった家の整備、収納部の拡張、
めどがついたところで、茶道具の移動、収納、畳替え、
待ったなしで新年となり新しい茶室の開設です。
そのまま雪崩のごとく夏まで過ごしてきてしまいました。
茶室も、ネット上のお茶の交流も軌道に乗って、
どうやら人心地が付いたところでこの暑さ、
ふわふわと過ごしているうちに今までの習慣をないがしろにして
過ごしてきていることにハッと気づいて慌てている状態です。
過ぎてしまった6月7月は元には戻せませんので、
今月からもう少し着実に、
小さいことでも大事な事々の見落としのない日々を
過ごして行こうと今朝改めて決心をしたところです。


今日は菊寿庵のお茶を楽しむ会。
連日猛暑日の続く異常気象に見舞われている東京です。
今日は火を入れず、ぶっかき氷を入れた冷水点だけの茶室です。
だいたい準備が整いました。
少し時間が出来ましたから、「瑠の歳時記」を書きあげたところです。





6月、7月の出来事もこれからおいおい遡って記しておきたいと
思っています。

翠溢れて

皐月も末になり庭の緑は盛り上がるよう、
繁った葉に枝は重みに耐えかねうな垂れて、
勢い盛んな草花は背丈を伸ばし放題
庭がすっかり狭くなりました。

薔薇が時を得て次々に花開き、

姫沙羅の木から舞い落ちる白い小花が道に模様を作っています。

緑と彩の季節、そろそろ梅雨のニュースも聴こえてきます。


今月一番うれしかったこと、それは母の日の子供たちからの
やさしい心遣い、息子たちは私のためのランチを用意して
もてなしてくれました。早くからメニューを決めて、買い物をして
当日は朝から台所に立って長い時間かけて料理をしてくれました。
出来た献立はアヒージョ、バーニャカウダー、エビチリソース
食べきれないほどのご馳走でした。

朝一番、娘から届いたのはピンク色の紫陽花の鉢

8時過ぎすっと出かけた長男が抱えて帰って来たのは
ピンクの薔薇とカーネーションの花束

次に届いたのは次男からのピンクと赤のカーネーション


至らないことだらけの母親なのに、子供たちのやさしさは溢れるほど

私が彼らに出来ることは何なのかを考える一日でもありました。

春から夏へと行ったり来たり

桜があまりに早くやって来て、3月の内に慌ただしく走り去りました。
四月は新生の月、出会いの月ですのに、ウロウロしているうちに
記録もなしに一ヵ月をやり過ごしてしまいました。
そして五月ももう10日、
庭は新緑に包まれ、

純白の花をびっしりと付けたヤマボウシが、

重さに耐えかねて枝うな垂れています。

四月末から五月連休中は時に30℃も超える真夏日もあり、


躑躅も藤も石楠花も前のめりに咲き時を早めてあっという間に


去って行きました。

そして連休明けは、踵を返して季節は三月に、
行った来たりの季節に人も花も引っ張り廻されぱなしです。


晴天に恵まれた連休が過ぎて、夏日が突然三月の天候に激変、
寒さに床暖を入れるありさまとなりました。
今日も低い気温が続いていますけれど、
午後2時明るい陽射しが戻って緑が煌めき始めました。
陽の光はやっぱり良いですね。気持が和みます。
玄関周りに咲く大好きなpink roseをカメラにおさめたところです。