迎春からはや5日が過ぎて

今朝は久しぶりに重い空です。
遅ればせながら、みなさま明けましておめでとうございます。
このページを留守にした理由は多々ありますけれど、
それは皆言い訳、唯の怠け癖と言えそうです。
東北、北海道ばかりでなく、西の方も雪に見舞われて
暮から新年を雪掻きに明け暮れた方々も多いと聞きます。
元日に思いがけなく牡丹雪が降って、
予定していたお墓参りが出来ないままに、
心を残して、娘はボストンへ戻って行きました。
お天気がくずれたのはこの日だけ、その前後は陽射し穏やかな日
が続きました。
何をするにも苦の無い所に住む有難さを思い、
怠けている自分に後ろめたさを感じています。
お正月気分はもういい加減に返上して、
今日からはしゃかしゃかと体を動かすことに致します。


昨年末にボストンから娘とその息子乃吾がやって、
慌ただしさの中で年が暮れ、新年を迎えました。 


クリスマス会の翌日28日には、
ノアは早起きして朝8時のロマンスカーキッザニアへ。
コックさん、銀行マン、パイロットなどになったとか。
一日中遊んで、ママに背負われてご帰還です。
29日、叔父ちゃまに誘って頂いて、凧揚げに、
良い風がやって来てくれて、空高く舞ったそうです。
30日、ナナチャマ、ママと3人で暮の買い物、
見慣れないものばかりで、少々戸惑い気味、
あまり興味が湧かなかったようです。
31日、大人(ナナチャマ、おじちゃま二人、ママ]たちは朝から大忙し、
遊び相手をしてもらえず、すねておりました。
2015年元旦、お重に詰めたお節にびっくり、

お屠蘇をおまじない程度に口にして、

何もかも初めての経験です。その前の来日は2歳半の時でしたから。
揚げ物や豆、煮物など味わって、お雑煮のお汁のおいしさに、
お代わりをしていました。
おじちゃまが丹精込めて活節を削って取った一番出汁です。
その後は、トランプゲーム、ウルトラマンカードゲームに 
笑い興じました。


2日、ナナチャマの弟の家の新年会
ローストビーフ、カナッペなど洋風のものに興味集中、
たらふくご馳走になりました。
そしてみんなでトランプ、ババ抜き、神経衰弱に興奮しておりました。
3日、「えっ!もうかえるの?帰りたくない」と甚だ不満、
後ろ髪を強く引かれながらおじちゃま運転の車に乗り込みました。
さすがに疲れがたまっていたのでしょう、寝て起きたらもう空港でした。
チェックインが済んで、お別れの時がやって来ました。
ノアは、「帰らないで」と私から離れません。
一緒にお茶を飲んで、さよならのハグをして、でも「あと10分」
「もうちょっと」と名残りを惜しみました。

一旦出国審査場へ入りながら、逆走してロープの外の私の許へ駆け寄り、
もう一度縋り付いてのハグ、目は涙でいっぱいです。
それを手の甲で拭いて、泣き声で「さよなら」、私も胸が塞がります。
いつまでも、いつまでも振り返り、振り返り、
手を大きく振りながら消えて行きました。
大渋滞の帰り道、家には3時間かかって着きました。
電話のメッセージが点滅しています。
二件のメッセージが残っていました。
「ナナチャマ、僕はアメリカへ帰りたくありません、おじちゃまと
日本にステイしたいでです。」「迎えに来て下さい」。
私も、貰い泣きです。
翌朝の電話、「ボストンに着いたけど、僕まだ悲しい」。
そして今朝、「よく眠り、よく食べて、とても元気」との娘からの
電話とメール、大いに安堵です。