やさしき友は、冬空の彼方へ

空は明るく、吹く風に厳しさはありません。
春の兆しが見え始めて、心が浮き立つ季節のはずです。
でも私の心はずしりと重く、何を見ても、何をしていても
楽しみません。


北から大吹雪のたよりがあって、東京も肩すぼめるような
底冷えのする1月26日の夜、大切な友人が彼岸へと
旅立ちました。


夫の高校時代の親友だったF.S.さん、最初にお目にかかったのは
何十年前のことでしょうか。30年?いえいえもっとずっと前、
慶応ワグネルの定期演奏会に欠かさず伺うようになったのは、
私共が海外生活から戻った1997年、それからでさえもう20年に
なるのですから。


夫が旅立った時の告別式には「アラウンドシンガース」の方々と、
一周忌には夫のコーラス仲間と共に「遥かな友へ」を


歌って下さいました。
いつもお仲間をまとめて下さったのがF.さんでした。
何かにつけて細やかな気配りをして下さり、
いろいろな催しに誘って下さいました。
ワグネルの演奏会、OBの演奏会、東西四大学、東京六大学
その他にも
ご自身の関わっていらっしゃる会によくご招待を頂きました。
戸山高校の同窓の方々の音楽、絵画などのお集まりでも
しばしばお目にかかりましたから、私の昔からの友人たちに比べても
一年にお会いする回数がとても多い、親しい友人になって
下さっていたのです。


本当にお心の行き届いたおやさしい方でした。
そしてご自分のことをさて置いても、
骨惜しみせずにお人のお世話をなさり、
ご自分の置かれた場で、力の限りご自身の使命を果たす、
いい加減さが微塵もない方でした。


出身校の戸山高校同窓会の幹事も長く続けていらっしゃいました。
一昨年秋、ワグネルOBの定期演奏会の少し後で、
ご入院の報を耳にした時は、しばらく事情が呑み込めませんでした。
演奏会の後にも同窓会のご旅行の手配やゴルフのご予定などを
こなしていらっしゃいましたから。
ご自分の関わっていらっしゃることに手抜きをせず、
体調不良でいらしたとしても、責任を果たされることの方に重きを
置いていらしたのではないかと、そんな思いも致します。
「私たちがF.さんに任せきりだったから」と悔やむ友人がいます。
「そうでなければ、体のことをもっと早くに労わっていらしたのでは
ないか」と。


でも私は思います。
それはF.さんがご自身で選ばれた道、生き方だったのではないかと。
人がどうであれ、F.さんはどんな場でもきちんとご自分のなさり方を
貫ぬき通されたに違いないと思うのです。
やり尽くされ、生き切って、お心充た旅立ちでいらしたと信じます。
親しくお付き合いいただいて、
傍にいた私は本当に楽しい思いを沢山させて頂きました。


旅立たれる十日ほど前に奥様からお電話を頂きました。
「主人が、お別れを言いたいといっています。」とおっしゃった後
受話器をF.さんに渡されたのです。
「頑張ってきましたけれど、もういよいよ駄目のようです。
残念ですけれど、こればかりは致し方ありません。」と
はっきりとしたお声でおっしゃいました。
「たのしい思いを沢山させて頂きました」と感謝の思いは
お伝えしましたけれど、胸がいっぱいで、言葉が続きませんでした。
お強い方でしたね。最後の最後までご自分で幕を引かれるとは。


明日、明後日とお別れの会が続きます。
お話出来なかった事々をお伝えして来ようと思っています。


重い心を抱えて出た庭に、スノードロップが一輪咲いていました。

「希望」という花言葉を持つこの花が
F.さんからの励ましのメッセージのように思え、
しばらく傍で、花を見つめておりました。