ニューイングランドの春の兆し

11日(こちらの12日明け方)の地震の後は、
心がざわざわとして、何も手に着かない状態でした。
13日にいくらか外の空気が和らぎました。
前々から約束のあった友人との
サンデーブランチに重い気持を抱えながら、
思い切って出かけてみました。
場所はColonial Inn。

コンコードという街(独立戦争の舞台であり、
オルコットの若草物語の舞台でもあります。
古き良きアメリカが今も息づいている街)
にあります。
ご存知の方も多いと思いますけれど
ここはアメリカで一番古いホテルだそうです。
1716年に建てられて、
1775年独立戦争勃発の時は、弾薬庫に使われたとか。
ホテルになったのは19世紀になってからだそうですが、
ニューイングランドの人たちが
大好きな「歴史のあるホテル」なのです。
かく言う私もここは大好きで、
レキシントンに住んでいた頃は、
お客さまが見えれば直ぐにお連れする所の一つでした。
ここのサンデーブランチはとても雰囲気があります。
18世紀の服装の女性が現れて、当時の話をしたり、
ボーイさんのマナーも恭しく、
とにかく時代掛かっているのです。
友人と1年ぶりの再会をして、
クラシックアメリカンの食事をしている間に
心は随分和みました。
友人も日本のことを心から心配して
様子を詳しく聞きたいようでしたが、
私は情報不足で心配ばかりが募っていましたから、
うまく返事が出来ませんでした。
彼女は「大変なダメージだけれど、日本人の勤勉さと
日本の技術を持ってすれば、きっとそう遠くない未来に
日本はきっと蘇るに違いない」と言ってくれました。
私の思いも同じでした。
友人と一緒に娘の家に戻り、
娘やNoahとがやがややっている間だけは
日本のことが少し遠のいていたように思います。


 この季節にしては珍しく、激しい雨が降ったのは
私がボストンを発つ前々日のことでした。
「雨になって良かったね」と挨拶する声が、
スーパーのそこここで聞こえました。
店いっぱいのイースター飾りが春を呼んでいます。
daylight savingが12日(土)に始まって、
日本との時差は13時間になりました。

その翌日には明るい陽射しがやってきて
急に気温が上がりました。
コート姿が少なくなったばかりか
Tシャツにショートパンツの人さえいます。
どうしてこの国の方たちはこんなに極端なのでしょうか。
いくら暖かいといっても、
依然道の端には雪が残っているというのに。
でも空は澄んで、風はやさしく、心も弾みます。
発つ前に春の証の真っ蒼な空が見れたのはラッキーでした。


 地震が起こってからというもの、日本からのメール、
インターネットとテレビのニュースから目の離せない日が続きました。
津波と揺れの映像は、
次に白煙を噴き上げる原子力発電所の映像へと移り、
私の発つ前日繰り返し流されたのは、成田を出国する人の列でした。
「帰るのを見合わせた方が良いのでは」と心配してくれる人が
何人かいたのもこのニュースのせいです。
「危険を避けて国外に逃れる日本人が増えている」という
解説が付いていましたから。
アメリカのニュースも極端なのです。
一部のものにフォーカスして
センセーショナルに扱うことが多いですから、
本当の姿が見えにくくなります。
 でもそうした映像を通してさえも、多くの方達が持った印象は、
「日本人はこんなに困難な時でさえも冷静で、
奪い合いや自分勝手な行動をとらない
貞節をわきまえた国民だ」というものだったようです。


 冷え込みの残る17日の早朝4時に家を出て帰路につきました。
長い旅路の末に着いた成田は、
明かりを落として薄暗く、エスカレータが作動していないことを
除けば、常と変らず賑わっておりました。
 ガソリン規制のためか車は少なく、辺りの様子は出る前と
変わりなく見えました。
 帰宅したのは18日の午後6時、娘の家を出てから
ちょうど25時間かかったことになります。
久しぶりの我が家は、折しも計画停電のさなか、
夕闇に包まれて、ひっそりとしておりました。