成人の日

 好天気の成人の日です。
振袖のお嬢さんたちには幸いでした。
それにしても「成人の日」の存在感が以前より薄くなりましたね。
祝日が移動式になったからに違いないと私は思っています。
この祝日を土日に繋げてしまうやり方はアメリカの真似でしょうね。
アメリカに住み始めて最初の祝祭日はColumbus Dayでした。
新大陸発見の日が、毎年変わる(10月の第二月曜日)と聞いて
「歴史上の事実まで人間様の都合で動かしてしまうの?」と
仰天したものでした。
成人の日の成り立ちは知りませんけれど、
1月15日が定着している身にとっては今もってピンとこない祝日です。
それはさておいて、
10年後、20年後の日本を担う若い貴方に、貴女に、
心からのおめでとうと、そして心からの声援を送ります。


 昨日は、寒さがとても身に浸みる日でした。
寒さに強いつもりの私も駅のホームで身を縮めて
足踏みをしたくなるほどに。
暮に慶応ワグネル・ソサイエティOBのF.さんからご案内いただいた
ワグネル現役生の定期演奏会
指揮者畑中良輔先生の最後の舞台と伺って、それは是非にと思いました。
90歳を目前にして、ワグネルご指導52年間の歴史に終止符を打たれる由、
会場の新宿文化センターのロビーには、
若い大学生の賑やかな集団に混じって、
ワグネルOBの方達と思しき初老の紳士の姿も大勢見えました。
後で伺えば300名に上るOBの方々が全国から馳せ参じられたとのこと。


 4曲の男声合唱曲のプログラムに先立って、
いつも通り慶応義塾塾歌の合唱、後方や横から唱和する声も
聞こえてきて、これが慶応の他にはない結束の固さと思いました。
曲目は
・「中勘助の詩から」作曲:多田 武彦
・「いつからか野に立って」作詞:高見 順  作曲:木下 牧子
  インターミッション
・「つぶてソング」と「祈り」(大震災と原発事故の犠牲者のために)
作詞:和合 享一・中原 中也  作曲:新実 徳英
・「運命の歌」作詞:Friedrich Holderlin 作曲:Johannes Brahms


 四十名ほどのメンバーは、最初は少し心細げに見えましたけれど、
歌い進むうちに声に張りと、のびやかさと力強さとが
加わっていくように感じました。
 中勘助の「追羽根」の長い詩を情緒豊かに歌い上げた、
小貫岩夫さんのテノールは清々しく、お正月の空気のように爽やかでした。
 心の奥底にズーンと響いて、身じろぎも瞬きも出来ぬような
思いに捉われたのは、3曲目の「つぶてソング」と「祈り」。
黒のTシャツの胸に一文字「想」と白抜きした姿で、
犠牲者への思いを切々と歌う彼らの響きの中に、
深い悲しみと怒り、お座なりでない鎮魂への祈りが聴き取れました。
亡き魂と語り合うような。
 4曲目の「運命の歌」は畑中先生の指揮。
平和な世界から激動と慟哭の世界へ、そして再び穏やかな美しい調べへと、
その流れの中にも「祈り」があると感じました。
ただ、前曲で詩から伝わるものの大きさを受け取ったばかりでしたから、
ここでは直にそれを受け取る能力が無い(ドイツ語でしたから)
もどかしさのようなものが残りました。


 「ワグネルという名を冠しているのだから」と
アンコールで歌われたのはワグナーのタンホイザーより大行進曲。
言葉に表し切れない感動がありました。
畑中先生とワグネルとの52年の結びつきの集大成。
舞台の現役メンバーは45名、
後方2階席には何人のOBの方々がいらしたのでしょうか。
前、後を交互に指揮なさる先生の表情の何と楽しそうなこと。
前方の澄んだ張りのある歌声、後方からの厚みのある豊かな歌声は
ホールの中央で一つと大きな響きとなって、
会場の隅々までを潤していきました。
 名残惜しそうに手を振り、舞台の袖に姿を消される先生に
万雷の拍手とブラボー、ブラボーの声はいつまでも鳴りやまず、
聴衆の心には温かい置き土産が残されました。


 陽のある内のあれほどの寒さは、夜9時には和らいでいて、
ぬくもった心を、そっとそのまま家まで持ち帰ることが出来ました。