碧空が覗いて

 朝からずっと細かい雨が降り続いて、
このまま夕暮れかと思いきや
5時を過ぎる頃から空がきれいに晴れ上がりました。

それを見計らうように、鶯が「ホーホケキョ」と
いやにはっきりと歌いはじめました。

 日暮が遅くなって、
外出から戻った後でさえ、
夕方の庭が楽しめるのはうれしいことです。
それに今日は風が涼しくて、じめじめ感が全く無いのです。
潤いのおかげで、花たちがどんどん数を増やしています。
ランタナ

凌霄花が花盛り。

桔梗が沢山蕾を付け始めました。


 先日母方の叔父の7回忌がありました。
不治の病と10年間闘って、力尽きた叔父を
母は悼んで朝に夕に祈りを捧げておりました。
今は彼の岸で、姉と弟はにこやかに語らっていることでしょう。
30数名集った縁の深い人たちに、
叔母の心つくしのお斎は龍天門のチャイニーズでした。


 寂しい話を聞いてしまったのは、
和やかな会の後のことです。
母の生家、祖父が90年前世田谷に建てた家を
来月には解体するというのです。
寄る年波に勝てなくなったばかりでなく、
一人住まいの叔母にとって、広い家は何かと不便、
それに家の手入れは並大抵ではないと話を聞けば、
「残念、寂しい」の言葉は飲み込まなければなりません。
私などより、そこで育ち、生活をしてきた人たちの方が
どれほど偲び難い思いに耐えているかを思えば。


 会の続きに弟達と世田谷のその家を訪ねました。
片付けのさなかの部屋はどこも荷物の山でしたけれど、
小学生の最後の年をここで過ごした座敷、
お茶の手ほどきを受けた祖母の茶室、

祖父とダンスをした洋館

何処にもあの頃が宿っていて、胸がいっぱいになりました。
海軍の軍人だった祖父が身に着けた勲章や


祖母が身に着けた赤十字の章、

この家の初代の銅像まで丁寧に拝見し、

庭に回って家の全景と

雨戸を閉ざした茶室を撮りました。


 断ち難い思いは胸にしまい込み、
祖父、祖母、母、叔父たちの生きた証しの
そのゆかしい佇まいを、しっかりと心に刻み付けました。