長月入り

 渡しの月になりました。・
でも涼風とは縁のない猛暑日の月の入りです。
今日で三日目、35℃を越える日が続き、へとへとです。
九州と中国地方は豪雨に見舞われています。
それなのに東京地方はカラカラ、
雨の予報を信じて水撒きをさぼりましたら、雨は空振りでした
猛暑と豪雨、今年の夏はこれの繰り返しでした。
次の季節の穏やかさを願わずにはいられません。


 朔日はホームページの更新日です。
とは言っても、短歌を作って、その一つを書にして投稿しただけ、

(つよき陽を花芯にうけとめたじろがぬ白蝦夷菊に秋は宿りぬ)

あとはこのブログの更新です。
最近は怠けものになって、暑さを理由に
沢山あるコンテンツのほんの一部しか動かしていません。
そろそろ再開の潮時のようです。


 そう云えば数日前、友人と一緒に
「戸栗美術館」で「小さい伊万里焼展」を観てきました。
伊万里焼の道具はお茶の世界ではあまり使いません。
お茶のやきものは殆どが陶器、伊万里は磁器ですから。
陶器が優位な理由はいろいろ、
手触りの温もりや、口当たりの軟らかさ、
侘茶に添う素朴さと言ったところでしょうか。
香合や蓋置、水指、菓子器などには時に顔を出しますが、
茶碗、茶入などの主な茶道具は陶器がその座を譲りません。


 江戸時代、輸出用の花形だった伊万里は赤や金を多用した華やかな
大皿、大鉢などが主流だったようです。
ところが江戸末期、輸出向け伊万里が中国磁器に押されて衰退し、
行き場のなくなったやきもののターゲットが庶民になってからは、
日常食器が大量に生産されるようになったようです。
伊万里焼が始まった当初から小さい器は既に作られていた
と説明書にありました。
実際初期(17世紀)の食器や香合、水指も少し展示されていました
けれど、この時期のものは、
庶民にとっては手の届かぬ高根の花だったに違いありません。


 この展覧会の中心は「小皿、向付、猪口」、
食べものを引き立てる青呉須の絵付けが多く、
200年、300年と人々と共に生きてきた器たちは、
総じて地味で普段着の感じでした。


 帰宅して、食器棚にしまったままの古伊万里の器を取り出して
並べてみました。

曾祖母が、祖母が、姑が大切に使って、私に継いでくれたものです。
一つ一つを手に取って眺めていると、
舅、姑の家の大広間の賑わい、お客様のさんざめき、笑い声、
父や母のおもてなしの様子が蘇って、しばし昔に遊びました。
人々に可愛がられながら永らえた食器には命が宿っているようです。