彼岸の日に空の彼方へ

 秋分の日、朝の空気が急に冷え込みました。
私、息子たち、義妹の4人で羽田を発ったのは12時5分、

降り立った宇部空港は南国でした。
あくまで青い空に入道雲が浮かび、背高のっぽのヤシの木が
ぱたぱたと風にはためいておりました。


 一旦ホテルにチェックインをして、
義母の眠る高台の家にと急ぎました。
母の家はいつもと変わらぬ佇まい、秋分の日とて
門には国旗が立ち、門塀にはお知らせが張り出してありました。

普段は閉めてある表玄関が大きく開かれ、
奥座敷に、母の眠る棺が白い布に包まれて安置されていました。

眠っているように穏やかな義母の面差し、
「おかあさま、おかあさま」と呼びかけても応えは返って来ません。
哀しみが塊になって胸に突き上げ、涙がどっと溢れました。


 お通夜は6時から始まりました。
3人の和尚様のお声は朗々として、心に響きました。
お焼香の後のお話は「人は亡くならない」「心に思う人の許にいる」。
「旅立つ人には、必ずお迎えに来る人がいる」というお話もありました。
魂は、愛して止まない人の傍にいつも在るということなのでしょうか。
それは私もいつも感じていること、素直に頷くことが出来ました。
お斎の時には懐かしい大勢の方々にお目にかかりました。
一年ぶりにお会いした画家のN. O.さんからは、
画展入賞のホットニュースを伺いました。
「絵のまち尾道四季展」で銀賞になられたとの。

義母は、こうしたうれしいニュースを自分の事のように
喜ぶ人でした。


 翌日は、告別式でした。
昨夜と同様心こもる法要をしていただき、お花に囲まれて、
美しいままに義母は義父の待つ空の彼方へと旅立ちました。
子供、孫、曾孫、そして大勢の方々の気持に包まれて。

 初七日の法要もその日の夜に済ませ、
義母は私の心の中に住む人になりました。


 翌朝宇部を発って、雨がそぼ降る中を家に戻りました。
雨の庭に目をやると、出る前には蕾だった彼岸花が、
満開でした。

「おかあさまが待っていて下さった」と咄嗟に思いました。
花言葉は、「また逢う日をたのしみに」。
おかあさま、またいつの日にかお会いしましょうね。