晴れやかな皐月入り

 昨日の雨風は傘も飛ぶほどでしたけれど、
今日は陽射し眩しい五月晴れとなりました。
ボストンから戻って3日目、
まだ体に時差が残っているらしく、
何とはなしにだるいような感覚があります。
妙な時に眠くなりますけれど、横になったら最後、
必死に動いています。


 庭に出るのが本当に楽しみな季節です。
自己主張しない山野草は、
木々の根方の木漏れ日の中でひっそりと咲いていますから、
そばに行って膝をつき、屈み込んで見なければ、
出会えないことが多いのです。
鳴子百合、黄花宝鐸草

シャガや

都忘れも咲き揃いました。

紅の石楠花、

躑躅の赤と白、楓の若みどりを背景に
慎ましい花達の魅力が際立ちます。
いのちの季節、日々が元気に過ごせそうです。


 ボストンの日々はイヴェントフルでしたから、
書きたいことは山ほどでしたけれど、
逢いたい人、訪ねたい所、春休みのノアと遊ぶこと、
時間が足りずにやり残しも沢山出て、
心をボストンに残したまま、時間切れとなりました。


 Patriot Day の翌日は、
ボストンシンフォニ―の演奏会に行きました。

夫の会社がボストン交響楽団の主スポンサーだった
こともあって、
かっては本当にしばしば顔を出したシンフォニーホール、
昔と少しも変わらぬ重厚な雰囲気を湛えておりました。

何が違うのか判然としませんけれど、
サントリーホールやトリフォニー、オペラシティ・・、
日フィル、新日フィル、N響…何かがとても違うのです。
良い、悪いや演奏技術の話ではありません。
会場、演奏者、聴衆それぞれから醸し出され、出来上がる
雰囲気が。
大らかさ?、自由さ?、気風?、土壌?
そこに身を置き、音に浸ることに喜びがありました。
大きなものに包まれている気分の良さがありました。
プログラムは、
ムソログスキー:禿山の一夜
ラフマイノフ:パガニーニ・ラプソディ
チャイコフスキー:交響曲5番
全員総立ちのオベーション、ブラーボ、ブラーボの大歓声、
演奏者も聴衆も酔っているような熱狂ぶり、
でも決してアンコール曲の演奏はありません。
違いというものは面白いですね。
興味深くそして時に恐ろしくもあります。


 友人の家の訪問、

ノアのスパーリングの試合見学、

思い出の宿る野原のドライヴ、

ファームへのおみやげ探し

ノアの自動車作りの助手、

毎日、毎日、彩りさまざまな出来事があって、
非日常的な日々が続きました。
そして迎えた最後の一日は、
CopleyのホテルMariottで、
娘、ノアとのゆったりした時間を持ちました。

ノアはプールとジムへ計3回、


溢れんばかりのエネルギーを発散して、後はぐっすり、
スプリングブレークの仕上げとなりました。

 翌日空港に私を見送ってくれたノアは、
チェックインする私の荷物を運んでくれる頼もしさ、
でも一緒にカウンターに行って手続するうちに、
自分も日本へ行きたくて堪らなくなったようです。
「僕も日本へ行くよ。ナナチャマと一緒に行くよ」と
言います。
その真剣な顔に私は切なくなってしまいます。
でも自分の願いが無理なのを承知しているノアは、
私と別れのハグをした後はすっきりした顔、
「夏休みにいらっしゃいね」に大きく頷きました。
「ナナチャマ、バイバーイ」の元気な声に
むしろ私が後押しされながら、ボストンを離れたのでした。


 機中でぐっすりと眠り、
爽快な気持で成田に降り立った私を
長男が待っていてくれました。