緑いやます日々に

 庭は緑に覆われて、木々が作る木陰が涼感を醸し出してくれます。
雨戸を繰ると、日毎に数を増やしている昼咲桃色月見草が、
なよやかに朝風に靡いています。

藤の蔓が楓の太い幹に巻きつきながら天を目指し、
リップセージも

撫子も華やかです。
季節を愛でて花も木も精一杯命を燃やしています。


 昨日は祖父母の法事に出かけました。
弟夫妻の車に便乗して世田谷の豪徳寺に着いたのが9時半、
境内は鬱蒼とした木々が深い静寂を作り出していました。

祖父37回忌、祖母23回忌、こうした行事の通知を受ける度に
流れた月日の速さに息を呑む思いがします。
初孫として生まれた私は、
祖父母からの溢れるほどの慈しみを受けながら成長しました。
それなのに、
祖父は私の入院中に、祖母はボストンに居る時に旅立ちましたから
二人の葬儀への参列は叶いませんでした。
入院する前に祖父を見舞いました。
帰り際、「るりちゃん」と祖父の絞り出すような
声が私を呼び止めました。
でも振り向いた私に、祖父は何言うでもなく
じっと見つめて微笑んでくれたのです。
その時私は悟りました。これが祖父に会う最後の機会なのだと。

「葬儀に出る」と言い張る私に、
「おじい様がそれを望んでいらっしゃると思うの」と
いつもはやさしい担当医が厳しい口調で言いました。
布団を被って一日泣き明かした、
その時の無念さは、今でもまだ尾を引いているようです。


 本堂は外の眩しさは届かぬ別世界、心が静まります。
法要を営んで下さったのはご住職粕川鐵禅老師、

80歳はゆうに超えていらっしゃるのに矍鑠として、読経のお声は朗々、
最後には、立ったままで私共に説法をして下さいました。
祖父たちの前に法要を営まれた方は80年忌でいらした由、
そこまで法要を続けられるご親族の方々のお心遣いに感服しました。


 法要の後には、恵比寿のウェスティンに場所
を移しての午餐会。
おいしい中華料理をご馳走になりながら
親しい方達との会話が弾み、穏やかな時が流れました。
それはあたかも祖父母からのあたたかい贈りもののように思われて、
帰路の車中の私は心みちておりました。