猛暑が和らいで

 昨夜の気温は、さほど狂おしいほどではなくて、
安眠できました。
今朝はすっきり目覚めて5時5分、未練なくベットを離れて、
ヨガとスクワットをしました。
6時過ぎに息子が起きてきて朝食の後
盆様にお茶を供えます。
朝の日課を済ませて外出の支度、
今日は世田谷に叔母たちを訪ねる予定でしたから。


 叔母というのは母の妹たち、
母のすぐ下の妹は元気なのですけれど、足が不自由なので、
自分の家のすぐ近くのナーシングホームに入居しています。
その叔母が帰宅出来た時、生活しやすいようにと、
今まで住んでいた家(祖父母が90年近く前に建てた大きな家)を、
段差の無い強固な鉄筋の洋風住まいに替えることになったのです。
その家の解体が今日始まるとのこと、
家とのお別れがしたかったのと、
お世話になった茶室の写真が撮りたくて、
義妹と出かける約束にしてありました。


 下馬のイタリアンレストランで家庭料理風イタリアンのランチを摂ってから、
叔母の家に行きました。
家の前には工事の車がずらりと並んで、大きな物音がしています。
その中を玄関から茶室に直行しました。

すっかり物の無くなった茶室に座せば、
正客席でにこやかな祖母の姿、
その祖母と季節の挨拶を交わす母の姿が目に浮びます。
ここにあった茶室の日々が、
そこで学んだ人々の歴史が消え去ろうとしていました。
私と一番年の近い仲良しの叔母が、声を偲んで泣いていました。
どう心を慰めてみても、悲しい思いはぬぐいようもありません。
名残を惜しみながら祖父母の思い出の家を後にしました。


 帰りに、ナーシングホームの叔母を見舞いました。
色白の美しい顔をほんのりピンク色に染めたお風呂上がりの叔母は、
私達に満面の笑みを送って手を振ってくれました。
母が逝ってから初めての面会でしたけれど、
母の写真を見ながら思い出を語る叔母は涙を見せましたけれど、
嘆きを口にすることはありませんでした。
生死を越えたもっと深い絆があると感じさせる爽やかさがあったのです。
新しい家に出来る茶室で、またお弟子さんとお茶をする日を
楽しみにしている叔母に、前だけを見て生きている強さを感じました。


 消えゆく家を見て、心に空洞が出来ていた私に
叔母の潔さ、踏ん切りの良さは驚異でした。
揺るがぬ芯を持っている人の強さが、動いてばかりいる私には
眩しいものに見えました。