台風一過

大型で非常に強い勢力を持ったと表現された台風21号
10日余りも日本に影響を及ぼし続けた挙句に日本列島をほぼ縦断して
日本海の彼方に去りました。
東京は23日の9時過ぎにはまばゆい光が戻り、何事も無かったように
碧い空が広がったのでした。

川に流され、山津波に襲われ命を落とされた方々がこの度も
大勢いらっしゃいました。
毎年繰り返される自然の猛威に人の成せることは僅かと
虚しさを感じずにはいられません。
24日には台風は完全に日本を離れ、強い風の置き土産を残して
消えていきました。


台風一過の秋空は期待したほど長くは続かず、24日は晴れたものの、
25日は今年一番の冷え込みという11月末の気温、
冷たい雨に冬のコートの出番となりました。


貴重な秋晴れとなった24日、弟夫妻とお墓参りに行ってきました。
今夏彼岸へと旅立った叔母(母の妹)に会いたくて、
小金井の多摩霊園へと。



男性の多くが戦地に赴いた戦時中が青春のさなか、
戦前と戦後の激変の時代を静かにしなやかに生き抜いた叔母でした。
穏やかな微笑みを絶やさない臈長けた人でした。
外見のか細さに似ぬ芯の強い人でもありました。
お茶の指導を受けた折々、雅で凛とした姿が印象的でした。
旅立つ前の数年間は車いすの生活を余儀なくされていましたけれど、
会いに行けば、冴えた記憶の中に今は亡き祖父母、母、叔父たちが
生き生きと息づいていて、思い出話に花が咲き、
笑い声が絶えない時間が持てました。
肺炎をおこしての突然の旅立ちでした。春にはとても元気で
「またね」の握手で別れましたから、今でも実感が持てないのです。
彼岸ばかりが賑わって、此岸は淋しくなるばかりです。


昨日の寒空を忘れたように、今日は絵に描いたような秋空が
広がりました。
一か月も延び延びになっていた植木の手入れに、
今朝は早くから職人さんが入りました。

NoahとSkype最中の8時半、ピンポーンとチャイムが鳴って、
クリスマスプレゼントの品定めのさなかだったNoahは
大層残念そうでしたけれど。


働き者の植木屋さん二人、8時半から陽が落ちて真っ暗になる5時半まで
せっせと働いて、

今帰って行きました。
若い職人さんたち、キビキビしていて、節度があって、礼儀正しい、
誠に爽やかです。


明日で完了、葉陰に隠れていた小さな花たちが姿を現して、


秋が一層楽しみになりました。

秋霖の日々に夏の恋しく

重い空、降り続く細雨、碧い空を恋うる思いが募ります。
暮の茶室の引っ越し(母の茶室から私の茶室へ)の準備は
山ほどあるのに
心も体も動いてくれません。
庭を眺めれば、秋明菊がうな垂れて、

ホトトギスが涙をいっぱい湛えています。

でも雨の日の紅薔薇は切ないほどに美しく、

心和ませてくれました。
雨が続いて、植木屋さんは何時になっても来てくれませんけれど。


でも昨日は一日だけの秋日和、用事が沢山済みました。
健康診断も受けました。
秋草もたくさん植えました。
茶室の風通しも出来ました。
体も心も生活も人は天気に左右される心もとない存在ですね。


愚痴を言っても仕方がない、これから天井裏の片づけ開始
でもその前に、ちょっと寄り道をして、
夏の思い出を記しておきましょう。


娘とNoahが帰国したのは7月27日、


それから8月13日までは、非日常の日々でした。
やりたいことが山積のNoahの外せぬスケジュール、
①陶芸、

②寿司バーのシェフ

キッザニア
④花火、

⑤旅行、




⑥海水浴、

⑦ドライヴ、

⑧ババ抜きトランプを大勢で・・・。
⑨おじちゃま(パパのお兄さん)宅への宿泊、
⑩トトちゃまのご法事。


⑪お盆飾り
[


滞在期間は丸16日、
連日連夜のイヴェントを嬉々としてこなして疲れも見せず、
8月13日にボストンへと戻って行きました。

「大好きよ〜。また来るね〜」といつまでも手を振りながら。
愛情深く表現豊か、NanaはやっぱりNoahには叶いません。

もう神無月

 時の流れに追いつかず、
月日はあっという間に飛んで行ってしまいます。
「瑠の歳時記」を繰ってみれば、前回ここを訪れたのは7月半ば、
呆れたり慌てたりしています。
怠けた分の月日も少し遡って記して行かねばと思いつつ、
用事にかまけて、筆が少しも進みません。


 多忙の理由は、新築から18年を経過して、あちこちに綻びが出始め、
補修、修理に職人さんの出入りが多くなっていること。
そして来客用寝室と化している茶室を、本来の姿に戻したいがための
修復作業とにあります。


 長年慣れ親しんだ母の茶室「知川庵」は、実に57年の歴史があり、
母旅立の後からでさえ、母のお弟子さんたちとの日々は5年に及びます。
一方、母が設計してくれ、夫が贈ってくれました私の茶室は
主なきままに18年が過ぎました。
これではいけないと思い始めましたのは今春のこと、皆さまと
語らって、年内で知川庵から卒業することに決めました。
12月は母旅立ちの時、茶友の方々と共に母を偲び、最後の茶会を
楽しんで、知川庵に別れを告げます。
来春には、私の茶室、菊寿庵からご挨拶させていただくつもりです。


 神無月のお茶の会 10月13日

お茶の会の前日12日は、最高気温が29℃の夏日、
汗をぬぐいながら茶会の支度をしたのでした。
それが当日は気温が一気に16℃まで下がっての雨ふり、
和服で見える皆さんにはお気の毒な日となりました。


朝8時、知川庵に着けば、茶室は義妹の手で既に浄められています。
持参の軸「和気兆豊年」を掛け、

花を活け込みます。

茶器にお茶を入れるのは義妹、
秋のお菓子を二種
(栗尽くしとボストンからのHalloween Cookies)を
盛り付けます。
今日は社中の方から手作り菓子の差し入れもあるとか
そんな楽しみもしばしばです。

ここまで準備を済ませて、さて和服に着替えます。

炭を熾し、釜を掛けるのも義妹です。

茶室の準備が出来上がりました。

10時になれば皆さん次々お越しです。
この茶室での納めの日が近いことをご存知のみなさんは
全員奥伝までの免状の持ち主、教授資格のある方ばかりです。
今日は、皆さんに茶通をしていただきました。
亭主の用意した茶とお客様がお持たせのお茶とで二服の濃茶の出る
長い点前、それでもみなさん、思い出し、思い出し、
良く学ばれました。
ちょとしたことがきっかけで、母の思い出話にしみじみしたり
笑いが広がったり、気心の通じた長年の茶友たちには、
独特の余裕があります。
心に楽しさの余韻が残る和やかな茶会となりました。
小糠雨は途切れることなく、静かに降り続いていましたけれど・・・。

文月も半ばを過ぎて

梅雨はどこをさ迷っているのか、東京には雨らしい雨もないままに、
7月も半ばすぎとなりました。
連日真夏日猛暑日が繰り返されて、草木も人々も元気がありません。


でも今朝のこと水撒きとゴミ捨てを兼ねて外に出ましたら、
意外に風が涼しくてほっとしました。
身構えて帽子をかぶりサングラスをかけてと重装備でしたが
うっすらと雲がかかりやさしい空でした。


14日(金)に夏休み前、最後のお茶の会をしました。
猛暑日の予報でしたから、和服は着ないと決めて、
お点前も冷水点ともう一方で火を入れて濃茶点前と決めました。
洋服で動くというのはまことに楽なもの、
いつになく支度も早々と済みました。


床の間には「瀧」一文字の軸をかけ
花はガラスの氷柱に活けました。


主の点前座にはぶっかき氷を浮かべた平水指にガラスの茶器と茶碗を
配しました。


触感や視覚から涼を感じて頂きたいとの願いからです。


もう一方の点前座には七夕の織姫に因んで糸巻き棚を設えました。
中段が糸巻きの形をした爪紅(ツマクレ)【彫り込んだ部分だけ
朱色の縁取りをすること】で、なかなか華やいだ棚です。


お菓子はこうした品を用意しました。
もちろん冷たくしてあります。

上は「せせらぎ」,下は「水中花」です。


そしてもう一品は青りんごを。


参加の方に二点前ずつ稽古をしていただき、後は夏休み前の
納会茶話会に移りました。
基本私語をあまりせずに、稽古をすることになっていますけれど、
茶話会は無礼講
日頃は出ない話題に花が咲き、時を忘れて過ごしました。



その翌日15日は、私の誕生日
朝早くに次男からのバラの花束が届きました。

私の好みを知り抜いている息子の選んだ薔薇はピンクの濃淡、
そして数本の紅薔薇
早速活け込めば、部屋は芳しく甘い香りに満たされます。


お昼は長男がお寿司を用意してくれて、

心もお腹もいっぱいになりました。


日付が替わる頃、ボストンのNoahと


娘から絵手紙が送られてきました。

Noahのカードには、私が好きなピンクの薔薇が描かれ、
娘の絵にはかって一緒に行ったハワイの海とプルメリアの花が
画いてありました。

皆のあたたかさに包まれて、
しあわせな〇〇回目の誕生日は暮れていきました。

ボストンは夏に早変わり

瑞々しい緑が大地を覆っていた期間はあっという間に過ぎて、今はもう夏を思わせる、深い緑の季節になりました。
このところ連日華氏90度以上30℃前後のお暑い日々です。


娘の長男Noahが10歳になりました。
小学生の間は親が誕生会を準備して、子供の友人を招いてもてなすのが習慣化しているようです。
幼いころは男女関係なく入り混じって、追いかけっこなどたわいもない遊びに興じていましたけれど、
4年生ともなると男の子と女の子の興味の対象が分かれてくるので、ノアの場合も招いたのは男の子ばかり、
何しろパーティ会場が、カーレース場でしたから。
子供の興味に合わせてパーティ会場を選ぶ親の苦労もなかなかです。
場所は、外からは倉庫のように見える大きな建物、中に入ればレースカーがうなりを上げて走っています。
疾走するレースーカーは私の眼にもかっこ良く、子供たちは食い入るように見入っっています。


10名集まった所でもレース開始、危険も伴うカーレースですから、係の人から詳しい説明を受けて、目出し帽をかぶった上にヘルメット、係員の点検を受けて、車に乗り込みます。

低い車体に体を沈めたところは少年ながらなかなか堂に入っています。

レースは2回行われ、

総合でタイムを競い、表彰台に立って、栄誉を称えられるという本格的なもの。

2位になったノアの誇らしげな顔が印象的でした。


ピザでお腹を満たし、ケーキを楽しんで、

友人たちのプレゼントを開けてとこの日のノアはテンション上りっぱなし
一生忘れられない日になったことでしょう。

若みどりまばゆいボストンから

先月27日にボストンへやって来ました。

成田から13時間、時差13時間のこの地は、ちょうど日本の裏側、しばらく時差に悩まされましたけれど、ほぼ一週間たってようやくしゃんとしたところです。


着いた翌日28日には、近くの観光地Cape Codに出かけました。

当日は、あいにくお天気が崩れ、外の遊びが出来ませんでしたから、
エクササイズにプールにゲームと室内遊戯に興じて、



海辺の楽しみとは無縁でしたけれど。

旅に出たのは、ついた翌々日がこちらの休日Memorial Dayで
三連休だったからです。
街は至る所に国旗がはためき、
戦没者を記念するceremonyが開かれていました。

戦没者追悼記念日、南北戦争の勇者を悼むことに端を発しているそうです。




着いて直ぐの旅で、時差の解消が上手にできず、
これは後に少々響きました。
でもおいしい空気とまばゆいばかりの若葉が体を癒してくれたのは
確かです。


娘が朝に夕にドライヴに連れ出してくれて
懐かしい風景に多く出会いました。
この地はやはり私の心の故郷だと改めて思う日々です。


皐月の日々に

5月の初めには、ポヤポヤと芽吹き始めたばかりだった木の芽が
勢いよく広がって、2週間の間に淡みどりが深緑にと変わっていきました。
渡しの季節、
春は影を潜めて、庭はもうすっかり夏の雰囲気になりました。


5月の茶室は冬の炉点前から夏の風炉点前へと模様替えの季節を迎えます。
和服の衣替えは六月ですけれど、私は5月からもう一重に切り替えます。
今月のお茶の会は5月12日に行いました。
時を合わせたように、当日は最高気温29度の夏日となりました。
茶室はご覧のような夏の佇まい、

床の間の軸は「山青く水緑なり」、花は義妹丹精の夏花9種、
水指は海底のさまを描いた逆さ瓢です。
茶菓子は端午の節句の名残りの柏餅

時の花「藤」

母の日のシンボル「カーネーション

茶入れは「藤」、茶碗も藤色にしてみました。

参加した皆さんは涼し気な一重のお召し物

久しぶりの風炉点前に真剣に取り組んでいらっしゃいました。


その二日後は「母の日」
前々日に長男からの薔薇の鉢植え

前日に娘からの紫陽花「キラキラ星」の鉢植え

当日次男からのカーネーションのアレンジメント

三つ揃えば、かように豪華、私は有頂天です。

そして長男の提案で、息子二人の手になる昼食は、
エビのチリソース、キュウリと春雨のサラダ、ワタリガニの味噌汁
揚げ膳据え膳の私
しあわせな母の日となりました。


冷え込みがなくなった皐月の日々は、
新しい花たちが次々に顔を見せる季節
薔薇

鈴蘭

夏の花月見草も

虫たちの動きも活発

鳥たちは巣掛けを始めて、

楓も子供たちを旅立たせる準備を始めています。

若葉の季節は、生命が芽生え、育治、旅立って行く、
躍動の季節なのですね。


五月雨がしとしと降る様は、梅雨の近さを感じさせます。
山法師が咲き始めました。緑の絨毯のような若葉の上に
ふわふわと浮かぶがごとくに。

間もなく紫陽花が姿を見せ始めることでしょう。