師走の日々は駆け足の日々

師走と言えばいつでも気忙しい思いで明け暮れしますけれど、
今年はそれが例年をはるかに上回って、いろいろな事柄を
なおざりにしたまま、突っ走った一ヵ月だったように思います。


瑠の歳時記を訪う物理的な時間というより精神的なゆとりが持てぬまま
今日に至りました。
今年も余すところ2日のみ、心に残る特別な月でしたから
師走をまとめて記しておこうと思います。


以前にも書きましたけれど、諸々の事情と状況から母の茶室知川庵は
12月をメドに57年に及ぶ歴史を閉じる決心をしていました。
社中のみなさんのお気持やご都合も伺い、先々のことも考えた上での
周りも自分も納得ずくの結論でした。


最後の稽古は12月8日と定めました。





これはボストンの娘からのクリスマス菓子です。


母の命日(2日)は過ぎていましたけれど、長いお付き合いだった
Iさんに供茶をしていただくことから会は始まりました。


Oさんがこの日のために、手作りのお菓子を用意してくださいました。


ご参加の皆さんはどなたも師範の免状をお持ちの方でしたから、
この機会にとお許しものの盆点、唐物といった稽古の総仕上げも
していただき、皆さん気持を引き締めて下さったようです。
義妹手作りのお汁粉でしばらく和んだ後、

母の形見の和服の中からお好みの品を選んでいただき、

お持ち帰りいただきました。
年に何回かはお茶の会をしましょうと「さよなら」は言わずに、
笑顔でお別れをしたのでした。


その後11日、15日と義妹との細かい打ち合わせに終日をかけ
義妹と私、双方に不都合が生じないような形で茶道具を分けました。
18日が引越しの日、息子たちの手も借りて終日かけての出来事でした。


私の茶道具、母から譲られた品々を使い勝手良く収めるのに1週間


気が付けばもう年の瀬は目の前でした。
お正月の茶室は独特の飾りつけもあります。

残り2日でどこまで辿り着けるか、あともう一頑張りです。
母と語らいながらのこの一か月の日々はぬくもりと寂しさとが
交錯する心にも体にも切ない日々でした。
でもこれからは、長い年月母から導かれ手渡されたものを
自分のものとし、さらには自分らしいものとして楽しみ
伝えても行きたいと思っています。


母の存在が、母のお弟子さんたちの中に今も生き生きと
息づいていることを、この度の出来事から再認識しました。
誇らしい思いで過ごす日々です。

小春日和

朝夕とても冷え込んで、楓の色着きが促されています。

でも昼の陽ざしの穏やかなこと、庭に出れば日ごとに進む楓に
寄り添うように、一重の山茶花が可憐な花をみせています。
赤い実を楽しむ鳥たちの声も長閑です。


本当に厳しい寒さと忙しさががやってくる前のほんのひと時の
和みの時です。


今日はお茶をご一緒している方達との昼食会、
場所は武相荘、ご存じ白洲次郎、正子夫妻の住まいであった場所です。

今ご一緒しているお茶のお仲間は、母のお弟子さんだった方々、
母亡き後も引き続き、
母の茶室での稽古に通って下さっているのです。
母が自分の茶室「知川庵」を自宅に開いたのは1960年、そこで52年間、
大勢のお弟子さん達と共に母の日々がありました。
2012年12月に旅立つ、その2か月前まで。
そしてその後の5年間、同じお顔ぶれの方々が通ってきて下さって、
今日まで知川庵は続いてきたのです。
でも母亡き後の5年間はお弟子さんそれぞれにも色々の形で変化を齎す
年月ではありました。
自然の理とは言いながら、残念な淋しい出来事も起こりました。
お話し合いの末、母の茶室知川庵での稽古はこの年末で一区切りという
結論に辿り着き、今日はそのお別れ会も兼ねています。
来月2日が母の5回目の命日ですから、そこでみなさまにも母との別れの
供茶に参加して頂き、半世紀を超える知川庵の歴史に幕を閉じます。


皆さんとお昼をご一緒しながら、昔話に花が咲きました。
皆さんが多忙を極めていらした頃の若かった日々に、母のお茶席が
いかに心と体の安らぎの場であったかを改めて伺い感動しました。
昼食はフレンチ、なかなかの美味でした。



高い天井の古い家屋、日当たりの良い縁側、
木々がのびのびと枝を伸ばす広い庭、

懐かしさを覚える佇まいの白洲家での昼食会でした。

淋しさを覚えながらも、何か清々しい気持で皆さんとお話が出来ました。
「これからも年に一、二度はお会いする機会を作りましょう」と
お約束もしました。
無理をしないこと、それも大事なことだと思っています。
2017年11月22日記す

炉開き

季節が速足で進んでいます。
楓の枝先に紅がチラチラと見え始め、


気が付けば、はなみずきは裸木になっています。
一日庭に出なければ、咲いていた花が姿を消し、
山茶花が咲き始め、


柊にも、もう白い花が咲いていたりします。

冬が至る所に顔を出しているのですね。
霜月、名前の通りそろそろ霜が降りる頃、朝晩の冷たい風に
思わず肩をすぼめたくなることもあります。


昨日、炉開きをしました。

風炉をしまい、炉を開けて、冬点前に移る渡しの行事です。
お茶の世界ではこの日を新年の始まりと捉えるようです。
今回は義妹に炉開きの炭点前をしてもらいました。




香の替わりに菊の葉を使い、
浄めの塩をくべ、火打石で火の用心、吉を願いました。
家内安全、子孫繁栄を祈って、茶菓子は「亥の子餅」です。
私はもっぱら写真係、1お召し物で参加してくださったみなさんを
記念に残しました。
穏やかな秋日和に恵まれて、佳き日を祝うことが出来て幸いでした。
炉開きの後、皆さんのご希望で
台天目や唐物などお許しものの稽古に励んで

皆さん、ちょっと意気が上がって、いつもよりもお元気なように
お見受けしました。



薄の焼き印入りお饅頭は、上で唐物のお点前をしていらっしゃる
Oさんが手作りして持ってきてくださった品です。


母の旅立ちから来月で5年経ちます。
茶室に通ってこられる方たちはみな母のお弟子さんだった方々、
年を重ね通われることもお大変になられた方もいらっしゃいます。
5年の歳月は思いがけない変化も齎すことを知りました。
そろそろ、母の茶室「知川庵」を閉じる潮時なのではと
思い始めたのは、春頃からでした。
夏に皆さんに諮りましたら、惜しむ声が多かった一方で、
同意される方もかなりいらっしゃることが分かりました。
お話し合いを続けて、年末で幕を引く結論を出しました。
淋しさはありますけれど、次への出発点でもあると考えています。
私は来年から自分の家に私の茶室「菊寿庵」を開くつもりです。
残りの日々を大切に温めながら過ごし、
「知川庵」で母に育てられ、培ったものをバネに、
「菊寿庵」を楽しんで行きたいと思っています。

秋日和が続いて

5時、タイマーのベルに起こされた時は正面の小窓はまだ真っ暗、
徐々に白んでくる5時20分、ようやくベットから抜け出して
階下の床暖房を入れます。
少し眠気の覚めてきた頃からヨガ、ストレッチ、スクワット、
6時になると息子が起きてきます。
これが毎日の朝の日課
これから寒くなるとこれがなかなかしんどくなります。
でも続けなければ、これが私の健康維持の要ですから。


今日は一日家のあれこれで日が過ぎました。
今月は茶室の炉開き、これに合わせて、香代わりの菊の葉と浄めの塩を
乗せる小皿を3組6枚作っています。
社中の方で炭点前をなさる方達へのプレゼントです。
この皿の仕上げが、今日のメインの仕事、
2番目が、Halloweenのオーナメントを片づけて
Thanksgivingへの飾り替え、季節ごと、いえ月ごとにやることは限なし
でもこれが私の張り合いでもあるのでしょう。
茶室の移り変わりを記した本の再販も考え始めていて
今は楽しく構想を練っているところです。


昨日もとても晴れやかな一日でした。
茶友と義妹を誘って、高鶴先生の作陶展を見た後
昼食をはさんで、ピアノのコンサートへと盛り沢山の
秋の一日を過ごしました。


高鶴先生、そして奥様、お二方のお元気なこと
80歳の年齢の片鱗さえも感じさせないご様子に感動します。
ピンと背筋を伸ばされ、闊達に歩かれ、大きな張りのあるお声で
楽しいお話をしてくださいました。


御作はこのように
力強く、大胆、カラフル、溢れんばかりのエネルギーに
今回も元気をたくさんいただきました。
とってもほしいお茶碗がありましたけれど、
残念ながら、手の届く範囲ではなく諦めです。
これがそのお茶碗です。

その他にもため息の出るような品々が目白押しでした。



拝見するだけでも体に力が湧いてくるような気になりますから
不思議です。
みんな良い気持ちになってレストランへと向かいました。
私の大好きなイタリアンレストラン「マキャベリー」です。
秋メニューはこんなにきれいで、お味抜群でした。




そして総仕上げはピアノコンサート@オペラシティホール
大好きなショパンポロネーズ18曲の中でも殊に好きな英雄ポロネーズ、久しぶりに生演奏に浸って幸せでした。
他にもショパンのバラード、ノクターン、リストのスペイン狂詩曲、
チャイコフスキーピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」など、
馴染み深い曲ばかり、ピアニストはニコライ・ホジャイノフでした 。
このホール、今年で創立20周年の由、

早々とクリスマスツリーも登場して、


お祭り気分を盛り上げておりました。


五感を満足させた秋の一日
心地よい疲れを感じながら家路をたどるタクシーの窓から
ピンク色のきれいな夕焼けが見えました。

台風一過

大型で非常に強い勢力を持ったと表現された台風21号
10日余りも日本に影響を及ぼし続けた挙句に日本列島をほぼ縦断して
日本海の彼方に去りました。
東京は23日の9時過ぎにはまばゆい光が戻り、何事も無かったように
碧い空が広がったのでした。

川に流され、山津波に襲われ命を落とされた方々がこの度も
大勢いらっしゃいました。
毎年繰り返される自然の猛威に人の成せることは僅かと
虚しさを感じずにはいられません。
24日には台風は完全に日本を離れ、強い風の置き土産を残して
消えていきました。


台風一過の秋空は期待したほど長くは続かず、24日は晴れたものの、
25日は今年一番の冷え込みという11月末の気温、
冷たい雨に冬のコートの出番となりました。


貴重な秋晴れとなった24日、弟夫妻とお墓参りに行ってきました。
今夏彼岸へと旅立った叔母(母の妹)に会いたくて、
小金井の多摩霊園へと。



男性の多くが戦地に赴いた戦時中が青春のさなか、
戦前と戦後の激変の時代を静かにしなやかに生き抜いた叔母でした。
穏やかな微笑みを絶やさない臈長けた人でした。
外見のか細さに似ぬ芯の強い人でもありました。
お茶の指導を受けた折々、雅で凛とした姿が印象的でした。
旅立つ前の数年間は車いすの生活を余儀なくされていましたけれど、
会いに行けば、冴えた記憶の中に今は亡き祖父母、母、叔父たちが
生き生きと息づいていて、思い出話に花が咲き、
笑い声が絶えない時間が持てました。
肺炎をおこしての突然の旅立ちでした。春にはとても元気で
「またね」の握手で別れましたから、今でも実感が持てないのです。
彼岸ばかりが賑わって、此岸は淋しくなるばかりです。


昨日の寒空を忘れたように、今日は絵に描いたような秋空が
広がりました。
一か月も延び延びになっていた植木の手入れに、
今朝は早くから職人さんが入りました。

NoahとSkype最中の8時半、ピンポーンとチャイムが鳴って、
クリスマスプレゼントの品定めのさなかだったNoahは
大層残念そうでしたけれど。


働き者の植木屋さん二人、8時半から陽が落ちて真っ暗になる5時半まで
せっせと働いて、

今帰って行きました。
若い職人さんたち、キビキビしていて、節度があって、礼儀正しい、
誠に爽やかです。


明日で完了、葉陰に隠れていた小さな花たちが姿を現して、


秋が一層楽しみになりました。

秋霖の日々に夏の恋しく

重い空、降り続く細雨、碧い空を恋うる思いが募ります。
暮の茶室の引っ越し(母の茶室から私の茶室へ)の準備は
山ほどあるのに
心も体も動いてくれません。
庭を眺めれば、秋明菊がうな垂れて、

ホトトギスが涙をいっぱい湛えています。

でも雨の日の紅薔薇は切ないほどに美しく、

心和ませてくれました。
雨が続いて、植木屋さんは何時になっても来てくれませんけれど。


でも昨日は一日だけの秋日和、用事が沢山済みました。
健康診断も受けました。
秋草もたくさん植えました。
茶室の風通しも出来ました。
体も心も生活も人は天気に左右される心もとない存在ですね。


愚痴を言っても仕方がない、これから天井裏の片づけ開始
でもその前に、ちょっと寄り道をして、
夏の思い出を記しておきましょう。


娘とNoahが帰国したのは7月27日、


それから8月13日までは、非日常の日々でした。
やりたいことが山積のNoahの外せぬスケジュール、
①陶芸、

②寿司バーのシェフ

キッザニア
④花火、

⑤旅行、




⑥海水浴、

⑦ドライヴ、

⑧ババ抜きトランプを大勢で・・・。
⑨おじちゃま(パパのお兄さん)宅への宿泊、
⑩トトちゃまのご法事。


⑪お盆飾り
[


滞在期間は丸16日、
連日連夜のイヴェントを嬉々としてこなして疲れも見せず、
8月13日にボストンへと戻って行きました。

「大好きよ〜。また来るね〜」といつまでも手を振りながら。
愛情深く表現豊か、NanaはやっぱりNoahには叶いません。

もう神無月

 時の流れに追いつかず、
月日はあっという間に飛んで行ってしまいます。
「瑠の歳時記」を繰ってみれば、前回ここを訪れたのは7月半ば、
呆れたり慌てたりしています。
怠けた分の月日も少し遡って記して行かねばと思いつつ、
用事にかまけて、筆が少しも進みません。


 多忙の理由は、新築から18年を経過して、あちこちに綻びが出始め、
補修、修理に職人さんの出入りが多くなっていること。
そして来客用寝室と化している茶室を、本来の姿に戻したいがための
修復作業とにあります。


 長年慣れ親しんだ母の茶室「知川庵」は、実に57年の歴史があり、
母旅立の後からでさえ、母のお弟子さんたちとの日々は5年に及びます。
一方、母が設計してくれ、夫が贈ってくれました私の茶室は
主なきままに18年が過ぎました。
これではいけないと思い始めましたのは今春のこと、皆さまと
語らって、年内で知川庵から卒業することに決めました。
12月は母旅立ちの時、茶友の方々と共に母を偲び、最後の茶会を
楽しんで、知川庵に別れを告げます。
来春には、私の茶室、菊寿庵からご挨拶させていただくつもりです。


 神無月のお茶の会 10月13日

お茶の会の前日12日は、最高気温が29℃の夏日、
汗をぬぐいながら茶会の支度をしたのでした。
それが当日は気温が一気に16℃まで下がっての雨ふり、
和服で見える皆さんにはお気の毒な日となりました。


朝8時、知川庵に着けば、茶室は義妹の手で既に浄められています。
持参の軸「和気兆豊年」を掛け、

花を活け込みます。

茶器にお茶を入れるのは義妹、
秋のお菓子を二種
(栗尽くしとボストンからのHalloween Cookies)を
盛り付けます。
今日は社中の方から手作り菓子の差し入れもあるとか
そんな楽しみもしばしばです。

ここまで準備を済ませて、さて和服に着替えます。

炭を熾し、釜を掛けるのも義妹です。

茶室の準備が出来上がりました。

10時になれば皆さん次々お越しです。
この茶室での納めの日が近いことをご存知のみなさんは
全員奥伝までの免状の持ち主、教授資格のある方ばかりです。
今日は、皆さんに茶通をしていただきました。
亭主の用意した茶とお客様がお持たせのお茶とで二服の濃茶の出る
長い点前、それでもみなさん、思い出し、思い出し、
良く学ばれました。
ちょとしたことがきっかけで、母の思い出話にしみじみしたり
笑いが広がったり、気心の通じた長年の茶友たちには、
独特の余裕があります。
心に楽しさの余韻が残る和やかな茶会となりました。
小糠雨は途切れることなく、静かに降り続いていましたけれど・・・。