あっという間に弥生は過ぎて

今日はもう3月31日、カレンダーを見る度驚き、
慌てている自分に呆れています。
今月もとにかく時間が駆け足、季節もめまぐるしく変化して
時には夏日になる日もある変動の大きさです。


早々と咲いた桜ももう散り始め、

今は海棠が真っ盛り

スミレ、

タンポポも春の詩をうたっています。

素敵な季節、心が躍ります。
うきうきし過ぎてあれこれに手を出し過ぎて、あぶはちとらずになって
いると言えなくもありません。


菊寿庵でのお茶が始まってからもう3ヶ月、一年の1/4も過ぎたことも
うれしい驚きです。
これが昨日の茶室、


自己満足かもしれませんけれど、
それなりに体をなしてきている充実感はあります。
いつも次のお茶のことを考えているのが昨年の今頃と違うところ、
大勢のお弟子さんをさりげなくこなしていた母の凄さを
今頃になって感じる至らない娘です。


明日はもう4月、イースターサンディ、エプリルフール、
何よりも門出の月です。
旅立つ若者に負けずに、心新たに生き生きと過ごしたいと思う
春の日です。

如月は長くて短い月

寒い寒いと思いながら過ぎて来たように感じるこの一ヵ月、
でも振り返ってみればいろいろなことがありました。
一月は何やらよそ行きの月、はじめてのことが多くて
非日常の日々だったような気がします。
それに引き換え二月は少し落ち着いて自分を取り戻したような、
日常が戻ってきたと思える月でした。
月4回の茶室の設え、さて今週はと考えるのは楽しみでもあり、
時に苦しみでもあり、母を頼れぬ心もとなさを感ずる日々でした。
母のいる間に、もっと真正面からお茶を学んでおくべきだったとの思いは
永久にぬぐい切れないでしょう。
今一人で調べ、得心の行くことも沢山あります。
そして、それはそれで自分の実になっていると感じてはいます。
受け身では物は身に尽きませんものね。
そうした日々の中で感ずることは、やっぱり母はすごい人だった
との思いです。心から誇らしく思っています。


さて2月の一週目2月2日(金)の茶室の設えから。

茶器と茶碗

点前

茶菓子

和服を着て支度に奔走するのはなかなか重労働、
でも気持はしゃっきりします。


2月9日は赤楽尽くしの設え、器は全て自分で作ったものです。



2月14日はValentine's Day
こんなお菓子でお茶の会もしました。


2月16日は木屋町棚を使って


2月23日は棚なしで萩茶碗を使っての濃茶点前


こうしてお茶に明けてお茶に暮れたような一ヵ月でしたけれど、
気持も時間も充実して過ごせた良い日々でした。

2月の終わりになって庭の老梅が可愛い花をつけました。

少し早めにお雛様も出して、部屋も気持も華やいでいます。

外では早咲きの桜が見頃を迎え

待ちあぐねた良い季節が始まろうとしています。

睦月の事々

年明けから一ヵ月は目まぐるしく走り去って、
後一日を余すだけとなりました。
師走も駆け足と記していますから、
この2か月はひたすら走り回っていたことになります。
とは言っても12月の音楽不足を補うべく、1月は4回もコンサートに




行く時間は捻出出来たのですから、12月よりは気持にも時間にも
ゆとりがあったということでしょう。


元旦は例年通り大晦日に家族そろって用意したおせち料理


新年を祝い、お三が日は何もしないでぼーっと過ごしました。


一月七日を席開きとして、

棚には輪宝飾りをし、

掛け柳を床の間に生け込み、大きな輪を結んで、

家内の安全、健康、幸運を祈り、初火を入れて湯を沸かし、
抹茶を点てて皆さんと暖を交わしました。


11日は鏡開き、今年は大きな鏡餅をお供えしましたから、
開いた後はお汁粉にしたり焼いたりして食し、

ずいぶん体重増加に貢献することになりました。


新春の行事が一段落してところで、
伸ばし伸ばしになっていた畳替え、
持ち帰った翌々日にはいぐさの匂いが高い新畳が入り

気分は一層上調子となりました。

引っ越しの慌ただしさも、収納部の不慣れも通り越して、
今は何事も順調、毎日気持ちに張りがあります。


1月23日には40年ぶりとか言われる大雪が東京地方を大混乱に
陥らせました。


30cmを優に超える積雪は雪かきも難行苦行
残った雪は今も消え去らず朝晩は凍って事故の原因にもなっています。
今週後半にはまた雪の予報、日本列島は大寒波の中にいます。

師走の日々は駆け足の日々

師走と言えばいつでも気忙しい思いで明け暮れしますけれど、
今年はそれが例年をはるかに上回って、いろいろな事柄を
なおざりにしたまま、突っ走った一ヵ月だったように思います。


瑠の歳時記を訪う物理的な時間というより精神的なゆとりが持てぬまま
今日に至りました。
今年も余すところ2日のみ、心に残る特別な月でしたから
師走をまとめて記しておこうと思います。


以前にも書きましたけれど、諸々の事情と状況から母の茶室知川庵は
12月をメドに57年に及ぶ歴史を閉じる決心をしていました。
社中のみなさんのお気持やご都合も伺い、先々のことも考えた上での
周りも自分も納得ずくの結論でした。


最後の稽古は12月8日と定めました。





これはボストンの娘からのクリスマス菓子です。


母の命日(2日)は過ぎていましたけれど、長いお付き合いだった
Iさんに供茶をしていただくことから会は始まりました。


Oさんがこの日のために、手作りのお菓子を用意してくださいました。


ご参加の皆さんはどなたも師範の免状をお持ちの方でしたから、
この機会にとお許しものの盆点、唐物といった稽古の総仕上げも
していただき、皆さん気持を引き締めて下さったようです。
義妹手作りのお汁粉でしばらく和んだ後、

母の形見の和服の中からお好みの品を選んでいただき、

お持ち帰りいただきました。
年に何回かはお茶の会をしましょうと「さよなら」は言わずに、
笑顔でお別れをしたのでした。


その後11日、15日と義妹との細かい打ち合わせに終日をかけ
義妹と私、双方に不都合が生じないような形で茶道具を分けました。
18日が引越しの日、息子たちの手も借りて終日かけての出来事でした。


私の茶道具、母から譲られた品々を使い勝手良く収めるのに1週間


気が付けばもう年の瀬は目の前でした。
お正月の茶室は独特の飾りつけもあります。

残り2日でどこまで辿り着けるか、あともう一頑張りです。
母と語らいながらのこの一か月の日々はぬくもりと寂しさとが
交錯する心にも体にも切ない日々でした。
でもこれからは、長い年月母から導かれ手渡されたものを
自分のものとし、さらには自分らしいものとして楽しみ
伝えても行きたいと思っています。


母の存在が、母のお弟子さんたちの中に今も生き生きと
息づいていることを、この度の出来事から再認識しました。
誇らしい思いで過ごす日々です。

小春日和

朝夕とても冷え込んで、楓の色着きが促されています。

でも昼の陽ざしの穏やかなこと、庭に出れば日ごとに進む楓に
寄り添うように、一重の山茶花が可憐な花をみせています。
赤い実を楽しむ鳥たちの声も長閑です。


本当に厳しい寒さと忙しさががやってくる前のほんのひと時の
和みの時です。


今日はお茶をご一緒している方達との昼食会、
場所は武相荘、ご存じ白洲次郎、正子夫妻の住まいであった場所です。

今ご一緒しているお茶のお仲間は、母のお弟子さんだった方々、
母亡き後も引き続き、
母の茶室での稽古に通って下さっているのです。
母が自分の茶室「知川庵」を自宅に開いたのは1960年、そこで52年間、
大勢のお弟子さん達と共に母の日々がありました。
2012年12月に旅立つ、その2か月前まで。
そしてその後の5年間、同じお顔ぶれの方々が通ってきて下さって、
今日まで知川庵は続いてきたのです。
でも母亡き後の5年間はお弟子さんそれぞれにも色々の形で変化を齎す
年月ではありました。
自然の理とは言いながら、残念な淋しい出来事も起こりました。
お話し合いの末、母の茶室知川庵での稽古はこの年末で一区切りという
結論に辿り着き、今日はそのお別れ会も兼ねています。
来月2日が母の5回目の命日ですから、そこでみなさまにも母との別れの
供茶に参加して頂き、半世紀を超える知川庵の歴史に幕を閉じます。


皆さんとお昼をご一緒しながら、昔話に花が咲きました。
皆さんが多忙を極めていらした頃の若かった日々に、母のお茶席が
いかに心と体の安らぎの場であったかを改めて伺い感動しました。
昼食はフレンチ、なかなかの美味でした。



高い天井の古い家屋、日当たりの良い縁側、
木々がのびのびと枝を伸ばす広い庭、

懐かしさを覚える佇まいの白洲家での昼食会でした。

淋しさを覚えながらも、何か清々しい気持で皆さんとお話が出来ました。
「これからも年に一、二度はお会いする機会を作りましょう」と
お約束もしました。
無理をしないこと、それも大事なことだと思っています。
2017年11月22日記す

炉開き

季節が速足で進んでいます。
楓の枝先に紅がチラチラと見え始め、


気が付けば、はなみずきは裸木になっています。
一日庭に出なければ、咲いていた花が姿を消し、
山茶花が咲き始め、


柊にも、もう白い花が咲いていたりします。

冬が至る所に顔を出しているのですね。
霜月、名前の通りそろそろ霜が降りる頃、朝晩の冷たい風に
思わず肩をすぼめたくなることもあります。


昨日、炉開きをしました。

風炉をしまい、炉を開けて、冬点前に移る渡しの行事です。
お茶の世界ではこの日を新年の始まりと捉えるようです。
今回は義妹に炉開きの炭点前をしてもらいました。




香の替わりに菊の葉を使い、
浄めの塩をくべ、火打石で火の用心、吉を願いました。
家内安全、子孫繁栄を祈って、茶菓子は「亥の子餅」です。
私はもっぱら写真係、1お召し物で参加してくださったみなさんを
記念に残しました。
穏やかな秋日和に恵まれて、佳き日を祝うことが出来て幸いでした。
炉開きの後、皆さんのご希望で
台天目や唐物などお許しものの稽古に励んで

皆さん、ちょっと意気が上がって、いつもよりもお元気なように
お見受けしました。



薄の焼き印入りお饅頭は、上で唐物のお点前をしていらっしゃる
Oさんが手作りして持ってきてくださった品です。


母の旅立ちから来月で5年経ちます。
茶室に通ってこられる方たちはみな母のお弟子さんだった方々、
年を重ね通われることもお大変になられた方もいらっしゃいます。
5年の歳月は思いがけない変化も齎すことを知りました。
そろそろ、母の茶室「知川庵」を閉じる潮時なのではと
思い始めたのは、春頃からでした。
夏に皆さんに諮りましたら、惜しむ声が多かった一方で、
同意される方もかなりいらっしゃることが分かりました。
お話し合いを続けて、年末で幕を引く結論を出しました。
淋しさはありますけれど、次への出発点でもあると考えています。
私は来年から自分の家に私の茶室「菊寿庵」を開くつもりです。
残りの日々を大切に温めながら過ごし、
「知川庵」で母に育てられ、培ったものをバネに、
「菊寿庵」を楽しんで行きたいと思っています。

秋日和が続いて

5時、タイマーのベルに起こされた時は正面の小窓はまだ真っ暗、
徐々に白んでくる5時20分、ようやくベットから抜け出して
階下の床暖房を入れます。
少し眠気の覚めてきた頃からヨガ、ストレッチ、スクワット、
6時になると息子が起きてきます。
これが毎日の朝の日課
これから寒くなるとこれがなかなかしんどくなります。
でも続けなければ、これが私の健康維持の要ですから。


今日は一日家のあれこれで日が過ぎました。
今月は茶室の炉開き、これに合わせて、香代わりの菊の葉と浄めの塩を
乗せる小皿を3組6枚作っています。
社中の方で炭点前をなさる方達へのプレゼントです。
この皿の仕上げが、今日のメインの仕事、
2番目が、Halloweenのオーナメントを片づけて
Thanksgivingへの飾り替え、季節ごと、いえ月ごとにやることは限なし
でもこれが私の張り合いでもあるのでしょう。
茶室の移り変わりを記した本の再販も考え始めていて
今は楽しく構想を練っているところです。


昨日もとても晴れやかな一日でした。
茶友と義妹を誘って、高鶴先生の作陶展を見た後
昼食をはさんで、ピアノのコンサートへと盛り沢山の
秋の一日を過ごしました。


高鶴先生、そして奥様、お二方のお元気なこと
80歳の年齢の片鱗さえも感じさせないご様子に感動します。
ピンと背筋を伸ばされ、闊達に歩かれ、大きな張りのあるお声で
楽しいお話をしてくださいました。


御作はこのように
力強く、大胆、カラフル、溢れんばかりのエネルギーに
今回も元気をたくさんいただきました。
とってもほしいお茶碗がありましたけれど、
残念ながら、手の届く範囲ではなく諦めです。
これがそのお茶碗です。

その他にもため息の出るような品々が目白押しでした。



拝見するだけでも体に力が湧いてくるような気になりますから
不思議です。
みんな良い気持ちになってレストランへと向かいました。
私の大好きなイタリアンレストラン「マキャベリー」です。
秋メニューはこんなにきれいで、お味抜群でした。




そして総仕上げはピアノコンサート@オペラシティホール
大好きなショパンポロネーズ18曲の中でも殊に好きな英雄ポロネーズ、久しぶりに生演奏に浸って幸せでした。
他にもショパンのバラード、ノクターン、リストのスペイン狂詩曲、
チャイコフスキーピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」など、
馴染み深い曲ばかり、ピアニストはニコライ・ホジャイノフでした 。
このホール、今年で創立20周年の由、

早々とクリスマスツリーも登場して、


お祭り気分を盛り上げておりました。


五感を満足させた秋の一日
心地よい疲れを感じながら家路をたどるタクシーの窓から
ピンク色のきれいな夕焼けが見えました。